「カラフト伯父さん」作品の感想

この記事は舞台の内容について触れまくっているので、まだ舞台をご覧になってない方はお読みにならないことをお勧めします。

ていうか読まないで!まず舞台みて!


「カラフト伯父さん」観てきました。4/29ソワレ。
奇しくも光くんたちが観劇に来ていた回でした。


序盤から中盤は、「おお、伊野尾くんが演技している」という興味が優ってしまって、完全に作品に入り込めていない視点で舞台を観ていた気がします。そんな中で「何故、徹くんはカラフト伯父さんに対して、こんなにも喧嘩腰な態度を取るのだろう?」という疑問を抱くことによって、徐々に物語へ惹き込まれていきました。


徹くんがカラフト伯父さんと仁美さんに翻弄される様子がコミカルかつ軽快に描かれる一方で、徹くんは頑なにカラフト伯父さんに反発し続け、その理由を口にしないままお話は続いていきます。
カラフト伯父さんに対し、無言で拒絶する…もしくは大声で罵声を浴びせるばかりの徹くんですが、人柄の悪さみたいなところは全然感じさせず、むしろ、普段の徹くんはぶっきらぼうだけれども穏やかで優しくもある…(伊野尾くんの演技によっての印象かもしれませんが)…そんな人物像が丁寧に描かれてました。


そしてクライマックス。なんかね、もうね、徹くんから借りたお金でお酒を飲んでしまったカラフト伯父さんへの憎悪がすごくて、伯父さんを叱責する仁美さんと激昂した徹くんににひたすら共感しかなかった。
おそらく観客の大半が、カラフト伯父さんに対して呆れ、怒り、蔑みの気持ちを抱いたところで、怒りを爆発させた徹くんが、とうとう宿怨の思いを口にします。
震災の際の苦しみ、年月が経っても彼の中に根深く残った辛さ、そして救いを願った叫び…。


この場面を観て私は「ああ、徹くんにとってカラフト伯父さんとは『神様』みたいな存在だったんだ」を思いました。
つらく苦しい時に助けて欲しい、どうか救って欲しい、そんな風に懇願する対象は、もう「神様」じゃないですか。
徹くん自身は「ヒーローだった」って言ってたけど。そうか…少年にとっては、日曜の朝に観る戦隊物のヒーローこそがピンチ時に助けてくれる代名詞なのか。でも私にとってそれはむしろ「神様」と呼んだ方が胸の中にストンと落ちる感覚でした。

「カラフト伯父さん!カラフト伯父さん!」と、いたいけに叫ぶ徹くんは、まるで道端で転んだ後に「お母さん」と泣き叫ぶことしかできない幼子のようで、胸がぎゅうっと締め付けられました。

 助けて欲しかった時に、救いの手を差し伸べてくれなかった神様…
徹くんの絶望には、どんなに想像しても辿り着けない気がします。
そして、そんな徹くんの叫びを聞いて、カラフト伯父さんがとある一言を発します(パンフレットに載っています)。

 

この一言がねえ……観てる最中の私にはピンと来なくて。
ああ…この一言で救われた…って気分になれなくて。
むしろ、火に油…?怒りの火に油を注がれた感じ…?

暗転後、憑き物が落ちたように穏やかな表情の徹くんが現れたとき、「ああ、良かった。」と思ったけれど、私の中では依然カラフト伯父さん絶許案件の儘だったので、なんとな~く、釈然としない気分のまま、それでも未来に向かう彼らに心底安堵して、エンディングを迎えたのでした。


観劇直後ってなんだかうまく物語を消化できなくて、短くても一晩、長ければ一週間くらい、頭の中で思い出して、こねくり回して、時間をかけてようやく「ああ、あれはそういうことだったのか」と合点がいくようになるのですが、この作品に関してはまず「どうやったら私は徹くんのようにカラフト伯父さんを赦して和解することが出来るだろう?」ってシミュレーションから取り組みました。長くなりそうなので、それはまた別の記事として書きます。
演者としての伊野尾くんに対する感想も書きたい。

正直なところ、初日に観劇した方たちの感動ツイートを拝見してしまっていたせいか観る前から作品に対する期待値のハードルを上げすぎてしまった感が否めず、また、「泣きのツボ」が私のそれとは違ったようで、号泣するまでには至らなかったのですが(あと、演者に対する思い入れの差かな…?)徹くんがあの静かな町の中で、どれ程の孤独を感じていたんだろうかを想像すると、じわじわと沁みてくるというか、暫くはこの作品に思いを馳せてしまうような気がします。